古過ぎメロ3
歌詞は一部あいまいな部分もありますが、あしからず。

お手玉歌その1
一 いちれつらんぱん(談判)破裂して
二 日露戦争始まった
三 さっさと逃げるはロシアの兵
四 死んでも尽くすは日本の兵
五 五万の兵を引き連れて
六 六人残して皆殺し
七 七月八日の戦いに
八 ハルビンまでも攻め寄せて
 (「入って」と歌う場合もあり)
九 クロバタキン(クロパトキン)の首をとり
十 東郷大将万々歳
リクエストがあったのでメロディーを無理矢理つけてみました。
たて笛で調べたのでかなり怪しいですが御勘弁を。
(ド.レ.ミ.=高い)

いっちれっつ らん ぱん   はっれつっしてー
ミッソソッソ ソー ソー   ラッラドッラソー

にっちろー せん  そう   はじ  まった
ミッミミー ミッレ ドー   レッレレッレー

さっ さと  にっ げる っは     ロっ シア  っのへいー
ド.ッド.レ.ミ.ッミ.ミ.ッレ.   ミ.ッレ.ド.ッド.ラー

しん でっも つっ くすっ は   にっほん のへい
ド. ラッド.レ.ッド.ラッラ   ソッソソ ラソー

ごっまんっの へい を    ひっきつっれてー
ミッソソッソ ソー ソー   ラッラドッラソー

ろっくにん のっこしって   みっなごっろしー
ミッミミー ミッレドッド   レッレレッレー

し っち がっつ   よーうかっ の   たっ たかっ い  にー
ド.ッド.ド.ッレ. ミ.ーミ.ッレ   ミ.ッレ.ド.ッド.ラー

ハっ ルピっン まーで っも    せっめよっせてー
ド.ッラッド. レ.ード.ッラ   ソッソソッラソー

クっロバっタ キンーのー   くっびをっとりー
ミッソソッソ ソー ソー   ラッラドッラソー

とうごう たいしょう   バーン バーン ザーイ
ミーミー ミッレドー   レー  ソー  ソー

いちれつらんぱん:「いちれつ談判」が変化したと思われる。
子供だから「らんぱん」の方が言いやすかったのね。

日露戦争:明治37年〜38年(1904〜1905)
ロシア帝国の南下政策「国土を南まで広げちゃおっか」
日本帝国の大陸進出「中国、朝鮮も国土にしちゃおっか」
と身勝手な主張が衝突して、他人の領地である朝鮮半島、中国満州(中国東北地方)で主に行われた戦争。

五万の兵:
大国ロシアに対してまさか兵の数が五万人というわけではないだろう。
たぶん『いくらでもある』という意味での「ごまん」の可能性もあり。

七月八日の戦い:
特別そんな戦いはない。

ハルピン(哈爾濱):東北経済地区第二の都市。
今のハルピンは東方のモスクワ、東方のパリと呼ばれている。どんな都市だ??

クロバタキンの首を取り:
取っていません。しかも歌い難かったのか名前も勝手に変更。
関係ないけど、漢字に返還すると「黒端菌」(汗)

アレクセイ・クロパトキン:連敗続きの帝政ロシア陸軍大臣。
「日本は予想外に強いよ〜」と唯一主張してたのにロシア満州軍総司令官にされる。
しかし日本軍に連戦連敗し、責任まで取らされロシア満州軍総司令官を罷免、更迭。
更に第一次世界大戦では大敗し、その後2月革命の際に逮捕投獄されるがすぐに釈放。
晩年は故郷で教師として静かな余生を送る。首は無事だったのね。

東郷大将:東郷 平八郎 (1848年〜1934年)薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人。本姓は桓武平氏渋谷氏流。元帥海軍大将従一位大勲位功一級侯爵。

明治期の日本海軍の司令官として連合艦隊を率いて、日露戦争における日本海海戦で敵前回頭戦法(丁字戦法)によりロシア海軍を破り日露戦争の英雄と称された。
その英雄もおじさまになると数日間も泊まりで料亭遊びに明け暮れ、晩年はありがちな盆栽と碁をし、料理なども。87歳で死去。

それにしても子供が何故クロパトキンを知ってたんだろう・・・。

お手玉歌その2
『一番はじめは』

ちゃまSUKEママさんから教えていただいたお手玉歌。
調べてみると結構いろいろなバージョンがあって面白いので載せてみました。
さりげな〜い違いに楽しんでみて下さい。

<わりとノーマルバージョン>

一番初めは 一の宮
二は 日光の東照宮
三は 佐倉の宗五郎
四は また信濃の善光寺
五つ 出雲の大社(おおやしろ)
六つ 村々鎮守様(ちんじゅさま)
七つ 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野(こうや)の弘法様
十で 東京招魂社(しょうこんしゃ)


<急行列車でお別れスプラッタバージョン>

一番はじめは 一の宮
二は 日光東照宮
三は 桜の吉野山
四は 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つは 村々地蔵さん
七つは 成田の不動さん
八つは 山田の八幡さん
九つ 高野の弘法さん
十は 東京急列車

これほど心願かけたのに
浪子の病気は治らない

ゴーゴーゴーゴー鳴る汽車は
浪子と武男の生き別れ

二度と会えない汽車の窓
泣いて血を吐くホトトギス

<微妙に違うお別れスプラッタバージョン>

一番はじめは 一の宮
二は 日光東照宮
三は 佐倉の宗五郎
四は また信濃の善光寺
五つ は出雲の大社
六つは 村々鎮守様
七つは 成田の不動様
八つ 山田の八幡宮
九つ 高野の弘法様
十は 東京招魂社

これほど心願かけたのに
浪子の病いは治らんか

ゴーゴーゴーと鳴る汽車は
浪子と武男の別れ汽車

二度と会わない汽車の窓
泣いて血を吐くホトトギス

<微妙に違うお別れスプラッタ村々富山バージョン>

一番はじめは 一の宮
二 また日光東照宮
三 また佐倉の宗五郎
四 また信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つ 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野の弘法様
十で 富山の招魂社

これほど信心したけれど
波子の病気は治らない

ごうごうごうとなる汽車は
武夫と波子の別れ汽車

二度と会えない汽車の窓
泣いて血を吐くほととぎす

<わりとノーマル二重橋バージョン>

一番はじめは 一の宮
二月 日光東照宮
三月 佐倉の宗吾郎
四月 信濃の善光寺
五つ 出雲の大社
六つ 村の鎮守さま
七つ 成田の不動尊
八つ 八幡の八幡さん
九つ 高野の弘法さん
十で 東京二重橋

<わりとノーマル二宮金次郎バージョン>

一番はじめは 一の宮
二で 二宮金次郎
三つ 佐倉の惣五郎
四で 信濃の善光寺
五つ 出雲の大社
六つ 昔は田や畑
七つ なんでもねえあなた
八つ 八幡の八幡さん
九つ 高野の弘法さん
十で 東京二重橋

<微妙に違うお別れスプラッタバージョン浅草寺編>

一番はじめが 一宮
二また 日光東照宮
三また 讃岐の金毘羅さん
四また 信濃の善光寺
五つ 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つ 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野の弘法様
十で 東京浅草寺

あれほど心願懸けたのに
浪子の病は治らない

ピーピーピーと行く汽車は
武男と浪子の生き別れ

二度と逢われぬ汽車の窓
泣いて血を吐くホトトギス

<わりとノーマル氏神バージョン>

一番初めは 一ノ宮。
二に 日光東照宮。
三は 讃岐の金比羅さん
四は 信濃の善光寺
五つ 出雲の大社
六つ 村の天神さん
七つ 成田の不動さん
八つ 八幡八幡さん
九つ 高野の弘法さん
十で 所の氏神さん


<わりとノーマル村々泉岳寺バージョン>

一番はじめは 一の宮
二は 日光の東照宮 
三は 佐倉の宗五郎
四は また信濃の善光寺
五つ 出雲の大社
六つ 村々鎮守森
七つ 成田の不動様
八つ 大和の八大仏殿
九つ 高野の弘法大師
十で 東京泉岳寺

<わりとノーマル村々富山バージョン>

一番はじめは 一の宮
二また 日光東照宮
三また 佐倉の宗五郎
四また 信濃の善光寺
五つは 出雲のおおやしろ
六つ 村々鎮守様
七つ 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野の弘法様
十で 富山の招魂社

あること、あること、大量です。皆さんの知っているのはありましたでしょうか?

ところで歌詞の中で気になるのが後半部分の『血を吐くホトトギス』なる無気味なフレーズ。
これについても後日ちゃまSUKEママさんから面白いお話を教えていただきました。

お手玉歌 『一番はじめは』の中のホトトギスについての情報

ちょうどお手玉歌の話題をした時、読んでいた本に正岡子規の話が出てきて、その文章に「血に啼くホトトギス」という一文がありました。タイムリーだと思って調べたら、それは中国の故事に由来するみたいです。なんでも大昔の中国の帝王が死後ホトトギスになって農耕の始まる時期を告げていたが、やがて国が滅ぼされる時に血を吐いて嘆いたというお話しですが、ホトトギスは口の中が赤く鳴き声も高く鋭いので血を吐いているようなイメージも併せてこういう表現が使われていたみたいですね。正岡子規は結核で亡くなりましたが、創った雑誌も「ホトトギス」だし、きっと自分の病気に重ねていたんでしょう。

何気ないお手玉歌だと思っていたら、中国の故事から由来してたのかもしれないなんて驚きです。
単なる「春を見ずに・・・」なんて隠喩ではなかったんですね。勉強になりました!
ありがとうございます(^^)

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